他者によって形作られる「自分」
『輪るピングドラム』『新世紀エヴァンゲリオン』『serial experiments lain』を見て思ったこと
このメモについて
「この作品たち、同じようなことを言っているのでは?」「他者との関係によって自分という存在が作られる、という共通点があるのでは?」と感じたこと自体は自分のものです。
ただ、それを自分でうまく文章にするだけの語彙力や文章力がないため、このメモの文章自体はすべてAI(ChatGPT)に書いてもらっています。
私が感じたことや考えたことを伝え、AIに調査・整理・言語化してもらうことで、自分の考えを文章として残しています。
メモの主旨
これは各作品の「正解」を決めるための考察ではなく、三作品を見ていて共通して感じた
「自分という存在は、自分ひとりで完結するものではなく、他者との関係によって形作られるのではないか」
というモチーフについて残しておくためのメモ。『輪るピングドラム』については、今回見た考察記事をきっかけにした自分なりの読みであり、記事の解釈をそのまま作品の公式見解として扱うものではない。1
きっかけ:『輪るピングドラム』の「何者にもなれない」と「透明」
『輪るピングドラム』を見直していて、以前は抽象的でよく分からなかった「何者にもなれない」「透明になる」といった表現が、ある考察を読んだことでかなり腑に落ちた。1
作品を象徴する言葉として、公式の番組紹介にも次のフレーズが掲げられている。
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」2
また、10周年公式サイトでも、
「運命の果実を一緒に食べよう」3
という言葉が前面に出されている。
今回読んだ考察では、「何者かになる」を社会的成功や有名になることではなく、他者と関わり、愛や痛みを分け合うことで、その人が誰かにとっての特別な存在になることとして読んでいる。逆に、他者との関係から切り離された人は「透明」になっていく、という解釈だった。1
この読みは、幾原邦彦監督自身が2024年に、「何者かになれる」という言葉を「有名になる」「成功する」と同義に捉えると真意が伝わらない、という趣旨を述べていることとも少なくとも矛盾しない。4
ただし、監督のこの発言だけから「何者かになる=愛や痛みを分け合うこと」とまで断定できるわけではない。そこは今回参考にした考察と、自分自身の読みである。
この見方をしたとき、以前見た『新世紀エヴァンゲリオン』と『serial experiments lain』を思い出した。
どちらも形は違うが、
自分とは、自分の内側だけに最初から完成した形で存在するものなのか?
という問いを扱っているように思う。
『新世紀エヴァンゲリオン』
他者との差によって「自分」の輪郭ができる
TV版最終話・第26話「世界の中心でアイを叫んだけもの」では、シンジしか存在しない世界が示される。
そこでユイはこう説明する。
「自分以外の存在がないと、あなたは自分の形がわからないから。」5
この場面では、他者がいないことでシンジは自分の形を認識できなくなっていく。
つまりここでの「自分」は、単独で完全に定義できるものではない。
他人という比較対象が存在し、他人との違いを認識することで初めて「ここまでが自分だ」という輪郭が生まれる。
同じ第26話で、シンジは最終的に、
「他の人達が僕の心の形をつくっているのも確かなんだ」6
と認識する。
この発想は、エヴァにおけるA.T.フィールドともつながって見える。
第24話でカヲルはA.T.フィールドについて、
「A.T.フィールドは誰もが持っている心の壁だ」7
と語る。
A.T.フィールドは、単に「他者を拒絶する悪い壁」と読むよりも、自分と他人を分ける境界そのものと捉えると分かりやすい。
他者との境界があるから、人は傷つく。
完全には分かり合えないし、拒絶もされる。
しかし同時に、その境界があるからこそ「自分」と「他人」を区別できる。
だからエヴァは、
他人がいるから傷つく。
しかし、他人がいるからこそ自分の輪郭も生まれる。
という両方を描いているように思う。
これは「他人からどう評価されるかによって自分の価値が決まる」という話とは少し違う。
むしろ、自己というものを認識するためには、自己ではない他者が必要である、という話に近い。
『serial experiments lain』
他者の記憶・認識の中にも「自分」が存在する
『lain』では、同じ問題がさらに「記憶」や「認識」の方向へ進んでいるように見える。
Layer 12「LANDSCAPE」で玲音は、
「人は、人の記憶の中でしか実態なんてない。」8
と語る。
さらにLayer 13「EGO」では、
「私は私の存在を知っている人の中にだけいる。」9
という言葉が出てくる。
ここから考えると、『lain』における「自分」は、自分自身の内側だけに一つ存在しているものではない。
たとえば、
- 自分が思っている自分
- 友人が知っている自分
- 家族が知っている自分
- ネット上で誰かが認識している自分
は、完全には同じではない。
そして、そのどれか一つだけを「唯一の本物」として切り離すことも難しい。
自分が最初に感じた、
「自分を認識している人の数だけ、自分という存在がある」
という言い方は、作中のセリフそのものではなく、Layer 12・13を自分なりに言い換えたものになる。
『lain』では、他者の記憶や認識の中に存在する「私」もまた、「私」という存在を構成しているように見える。
ここがエヴァとの少し面白い違いだと思う。
エヴァとlainは「逆」ではなく、同じ問いを別方向から見ている
最初は、
- エヴァ:他者によって自分が作られる
- lain:他人の数だけ別々の自分が存在する
という、少し逆向きの話のようにも感じた。
しかし改めて考えると、むしろ両方とも、
「他者なしに、完全に独立した一つの自己を定義できるのか」
という同じ問題を別の方向から扱っているように思う。
エヴァ
他者との差・境界によって、自分の輪郭を認識する。
他人がいることで「自分ではないもの」が生まれ、その境界によって「自分」が分かる。
lain
他者の記憶・認識の中にも、それぞれ異なる自分が存在する。
「自分」という存在は自分一人の中だけに閉じておらず、他者の中にも分散している。
そこに『輪るピングドラム』を重ねる
今回の考察を出発点にすると、『輪るピングドラム』は同じテーマをさらに「関係を結ぶこと」「愛すること」の側から描いているように感じる。1
三作品をかなり単純化して並べると、こんな感じになる。
| 作品 | 他者と「自分」の関係 |
|---|---|
| 『新世紀エヴァンゲリオン』 | 他者との差・境界によって、自分の輪郭を認識する |
| 『serial experiments lain』 | 他者の記憶・認識の中にも、それぞれの「自分」が存在する |
| 『輪るピングドラム』 | 他者と関係を結び、何かを分け合うことで「何者か」になっていく |
三作品とも、「自分は自分だから、他人とは無関係に最初から完成して存在している」 という自己像からは距離があるように思う。
エヴァでは、他者がいなければ自分の形が分からない。
lainでは、そもそも自分は他者の記憶や認識の中にも存在する。
ピングドラムでは、他者との関係から切り離されて「透明」になることと、誰かと何かを分け合って「何者か」になることが対照的に描かれている――少なくとも、今回読んだ考察を踏まえるとそう読める。1
なぜ自分はこのテーマに惹かれるのか
ここまで考えていて、そもそも自分がなぜこういう作品や問いをよく覚えていて、何度も掘り起こしたくなるのかも少し分かった気がする。
自分は昔から、誰かに必要とされたい、認められたい、注目されたいという気持ちが強かったと思う。
友達も多い方ではないので、
- どうすれば誰かに認識してもらえるのか
- どうすれば必要とされるのか
- どうすれば友達を作れるのか
- どこからが「友達」で、どこまでが「知り合い」なのか
- 自分が友達だと思っている相手も、同じように思ってくれているのか
といったことを、昔からよく考える。
家族の前にいる自分、友達と会うときの自分、仕事をしているときの自分、XやSNSにいる自分もかなり違う。
どれも自分ではあるはずなのに、相手や場所によって違う振る舞いをしている。
そうなると、「本当の自分」はどれなのだろう、と考えたくなる。
でも『lain』を見ていると、むしろそのすべてが自分なのかもしれないと思う。
友人の中にいる自分と、家族の中にいる自分と、仕事上で認識されている自分は同じではない。それでも、それぞれの人の中に存在している「自分」もまた、自分という存在の一部なのではないか。
だから、
「自分は他者の中にどのように存在しているのか」
という問いに、自分は昔からかなり強く引っかかっているのだと思う。
もう一つ、昔から「誰かに影響を与えられたらうれしい」と思うことがある。
何かを教えたことでその人の考え方が変わったり、自分が伝えたことが誰かの役に立ったり、自分との関わりによって相手に何かが残ったりすることに、かなり喜びを感じる。
これも単に「評価されたい」という承認欲求だけではなく、
自分が誰かの中に何かを残せたことによって、自分がそこにいたことを確かめたい
という感覚とつながっているのかもしれない。
死んだあと、自分を知っている人が一人もいなくなって、誰からも完全に忘れられてしまったら、そのとき「自分」という存在そのものも消えてしまうのではないか、と考えることもある。
もちろん、自分が生きたという事実そのものがなくなるわけではない。
ただ、『lain』のように「他者の記憶や認識の中にも自分が存在する」と考えるなら、最後に自分を覚えている人がいなくなったとき、その意味での「自分」は確かに一つ消えることになる。
一方で、人に与えた影響は、必ずしも自分の名前と一緒に残るとは限らない。
自分が誰かに教えたことが、その人から別の誰かへ伝わるかもしれない。
何気なく言った言葉が、その人の考え方や選択を少し変えることもあるかもしれない。
一緒に過ごした経験が、その人の好みや価値観の一部になることもある。
そう考えると、自分自身のことがいつか忘れられたとしても、誰かと関わった結果として生まれたものまで完全に消えるとは限らない。
この感覚は、『輪るピングドラム』で感じた「誰かと関わること」「何かを分け与えること」ともつながって見える。
誰かの中に残りたい。
誰かにとって何か意味のある存在でありたい。
誰かとの関係によって、自分がここにいることを確かめたい。
自分がこの三作品に共通するものを感じたのは、たぶん作品の構造が似ているからだけではなく、こういう自分自身の問いと重なっていたからなのだと思う。
今のところの自分なりの結論
この三作品に共通して感じるのは、
自分とは、自分一人で完成するものではない。
という考え方なのかもしれない。
ただし、それぞれが言っていることは同一ではない。
エヴァが強く描いているのは、自分と他人の「境界」。
lainが強く描いているのは、他者からの「認識」と「記憶」。
ピングドラムで自分が強く感じたのは、他者との「関係」と「共有」。
方向は違うけれど、どれも「自己」を完全に個人の内側だけで説明しようとはしていないように見える。
自分は他人とは別の存在である。
でも、自分が何者なのかを形作っているものの中には、これまで関わってきた人、誰かから向けられた感情、自分が誰かに渡したもの、他人の中に残っている自分の記憶も含まれている。
そう考えると、
「他者がいるから私が私になる」
という発想は、エヴァやlainやピングドラムに限らず、いろいろな作品で繰り返し描かれているテーマなのかもしれない。
今後ほかの作品で似たものを感じたら、このメモに足していきたい。
出典・参照資料
『輪るピングドラム』
『新世紀エヴァンゲリオン』
作品本編:TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』第24話「最後のシ者」、第25話「終わる世界」、最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」。
公式サイトではTVシリーズ全26話および各話を収録したSTANDARD EDITIONの商品情報を確認できる。
https://www.evangelion.jp/news/eva_bdboxse/
『serial experiments lain』
作品本編:TVアニメ『serial experiments lain』Layer 12「LANDSCAPE」、Layer 13「EGO」。
NBCユニバーサルの作品ページ:
https://www.nbcuni.co.jp/rondorobe/anime/lain/
Layer 13はTELASAの配信ページでも話数名・作品情報を確認できる。
https://www.telasa.jp/videos/125756
引用についての注意
- 作中セリフの一次資料は、それぞれのアニメ本編。
- Web上で参照できる公式脚本全文は確認できなかったため、セリフの文字表記については複数の文字起こし・考察資料と照合した。
- 非公式文字起こしは誤字・表記揺れの可能性がある。そのため、このメモではテーマに必要な短い箇所だけを引用し、話数を併記した。
- 『輪るピングドラム』の「愛があれば何者かになれる」「透明=他者との関係が失われた状態」という整理は、作品中でそのまま説明される公式定義ではなく、参照した考察および自分自身の解釈として扱っている。
Footnotes
-
ayuha167, 「『輪るピングドラム』考察 2026年向け」, 2026-06-07.
https://ayuha167.github.io/blog/2026/06/07/
今回このメモを書くきっかけになった考察。「透明」「何者かになる」「愛」「痛みを共有すること」の関係については、この筆者の解釈を参考にした。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 -
TBSテレビ, 「輪るピングドラム」番組ページ.
https://www.tbs.co.jp/program/mbs_penguindrum.html
公式番組紹介に「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」と記載されている。 ↩ -
『輪るピングドラム』10周年特設サイト.
https://penguindrum10th.jp/
公式サイト上で「運命の果実を一緒に食べよう」というフレーズを確認できる。 ↩ -
幾原邦彦, X投稿, 2024-04-14.
https://x.com/ikuni_noise/status/1779372520589894003
「何者かになれる」を「有名になれる」「サクセスできる」と同義に考えると真意が伝わらない、という趣旨の監督本人の投稿。 ↩ -
rrr_serifu, 「【全セリフ】第弐拾六話(最終話) 世界の中心でアイを叫んだけもの」.
https://note.com/rrr_serihu/n/n862c82e84c43
第26話のセリフ確認用。非公式の文字起こしであるため、一次資料はアニメ本編。 ↩ -
Onbed, 「【エヴァ考察】現実,真実,そして夢」, 2022-10-13.
https://note.com/onbed/n/nc61397a22995
第26話の該当セリフをカット番号付きで引用している二次資料。一次資料はアニメ本編。 ↩ -
エヴァファン, 「渚カヲルの名言・名シーン・名セリフ集」.
https://eva-fan.com/blog-entry-4553.html
第24話のA.T.フィールドに関するセリフ確認用の二次資料。一次資料はアニメ本編。 ↩ -
Serial Experiments Lain 非公式データベース, 「Layer : 12 LANDSCAPE」.
https://www.serial-experiments-lain.com/layer/layer_12.php
Layer 12のセリフ確認用。サイト自体は公式権利元ではないため、一次資料はアニメ本編。 ↩ -
tayama222, 「『serial experiments lain』考察メモ(3)前編 13話解釈のための予備分析」, 2017-11-19.
https://tayama222.hatenablog.com/entry/2017/11/19/155605
Layer 13冒頭のセリフを文字起こししている二次資料。記事中で表記上「あたし」を「私」に変更した旨が明記されているため、このメモでも引用箇所の内容確認用として利用した。一次資料はアニメ本編。 ↩